〜40歳の誕生日・がんと言われた日から5年〜
先日、「40歳の誕生日」を迎えました。
人生80年と考えれば、折り返しになります。
また、この日は「癌と言われてから、ちょうど5年経った日」です。
「残りの人生を何に費やしていくかを考えるべき年」が、「低い生存率の病気の完治を迎える年」にもなりました。
喜ばしい事に聞こえますが、私の心境は、完全にそう言い切れるものではありません。
この5年の間に、周りでは何人かの知人や、そのご家族が亡くなりました。
一回り以上歳上の方も居れば、同い歳や歳下の人間もいます。
また、病気から3年経った頃。
(現代医学では、「3年再発無しを完治とする」見方が強いです)
同じ歳の知人が、同じ病気で亡くなりました。
その知らせを受けた時、「何で僕は助かったのだろう?」と脱力し、その後も「この先どうやって生きれば良いのだろう?」と、何度も自問しました。
ニーチェの言うように「神が死んでしまった現代」。
何をするにも「それに何の意味があるの?」という疑問が、付いて回ってきます。
正直、この先の目標については、確たるものがないように感じます・・・
でも、私の行いに「ありがとう」を言ってくれる人もいますし。
私は、一人で生きている訳ではありません。
「小さな徳をコツコツ積んで生きていく方が、お前には合っている気がするよ」
高校時代の同級生から、こう言われたばかりですが。この言葉が1番シックリ来るので、今はそう生きようと思っています。
〜チェーホフ:「ヴァーニャ叔父」より〜
ヴァーニャ伯父さん、生きていきましょう。
長い長い日々を、長い夜を生き抜きましょう。
運命が送ってよこす試練に、じっと耐えるの。
安らぎはないかもしれないけれど、ほかの人のために、今も、年を取ってからも、働きましょう。
そして、最期がきたら、おとなしく死んでゆきましょう。
そして、あの世で申し上げるの。
「あたしたちは苦しみました」って、「涙を流しました」って、「つらかった」って。
すると、神様はあたしたちのことを憐れんでくださるわ。
そして、伯父さんとあたしは、明るい、すばらしい、夢のような生活を目にするのよ。
あたしたちはうれしくなって、うっとりと微笑みを浮かべて、この今の不幸を振り返るの。
そうしてようやく、あたしたち、ほっと息がつけるんだわ。
伯父さん、あたし信じているの。
強く、心の底から信じているの……
そうしたらあたしたち、息がつけるの!
〜抜粋ここまで〜
この時代の「ロシア文学・戯曲」は、本当に素晴らしいです。
私も「息をつく、その時」が来るまで、働きながら、精一杯生きていこうと思っています。